雑記(2017/7/9)

 Twitterをやめて数日経ち、これでは情報が全然入ってこないと気付いたので情報収集用のアカウントを作り直しました。自分でもやることが極端だなぁとは思います。リアルで顔と名前だけ知ってるけど全然付き合いのない人にフォローされてるのがいよいよ気持ち悪くなったのがやめた主な理由。30日の猶予があるのでそのうち復活させるかもしれないけど。

 

 ところで、中学生の頃、高校受験が終わってから学校で高校受かった人の報告会みたいなのがありました。俺はそれに家庭の用事があって参加しなかったのですが、高校入学後、地元で久々に会った友人に「(報告会にいなかったから)高校行かないのではないか」などと噂されてたことを教えてもらい、(んなわけあるか……)と呆れたことをふと思い出しました。まあ実際その場にいなかったし、そんな噂が立っても仕方ないんですけどね。Twitterも突然消したし、就活終わったとか一言も言ってなかったので、就活で気を病んだんじゃねーのかとか思われてるかもしれない。今度はどんな噂をされるのか、それとも噂にもならないのか。どっちでもいいですけど。そんなことを最近は思っています。

 

 地元という言葉を使ってふと思ったのですが、高校生の頃は「地元」と言うとほんとに中学校の学区くらいを指していたのに、大学生になると市内全域や、広い時は県全体を指すようになって、自分の生息域と「地元」の範囲の大きさは比例していくのかなぁなどと思います。海外を飛び回るようになったら日本……は言い過ぎでも地方全部が「地元」になったり、宇宙に進出すれば地球全体が「地元」になったりするのでしょうか。「出身は太陽系です。ええ、あのへんまともに生活できるところが地球しかなくて……」とか言ってみたいですね。

 

 話は少し変わりますが、そこで生まれ、親の帰省で何度も訪れた土地と、今までの人生で一番長く暮らした土地と、今住んでる土地と、ついでに言えば来年から生活を始める土地がそれぞれに違う自分は、「地元」ってなんだろうなということをよく思います。他人が俺の土地遍歴を聞けば当然「一番長く暮らした土地」が地元だと思うだろうし、他人に「地元は?」と聞かれたら俺もそこを答えます。しかしそこに対する帰属意識みたいなのは実際あんまりなくて、その土地の特徴を話している時もわりと他人事のように考えてます。愛着もそれなりにあるし、帰属意識を感じないことが悲しいとかそういうことを言いたいのではなく、ただ他人ほど特別な感情は感じないんだよ~という話をしたいだけ。なのでレペゼンとか言われても全然ピンとこないという。概念としては分かるけどそれだけ。

 

 話が少しそれました。ええと、特にどこかを「地元」だと考えることは全然無いのですが、生まれた土地も暮らした土地も今住んでる土地も好きで、それぞれに仲間意識みたいなのはあるかもしれません。一つの土地を帰る場所とは思っちゃいないけど、「しばらく世話になるよ」と居座ってみたり、「よう久しぶり」と笑い合ってみたり。そういう場所のように感じているような気がします。これくらいがちょうどいい温度感でいいじゃん、と我ながらに思っております。会社の方は別に転勤とかないので、来年からしばらく東京なのですが。まあ定年まで同じ会社で働けるとは思っていないので、何かの機会や縁で全然違う土地に住むことになるのかもしれません。その辺のこともまあ、なるようになるのでしょう。

 

 と、いつもの結論に至ったところで今日は筆を置くことにします。とても雑記らしい雑記でした。最初に書いたことと最後に書いたことが全然つながってない。何も考えずに書くとこうなる。
 おわり。