小説のプロローグだけを書いたやつ
『お前の父ちゃん魔王さま』
「や~いお前の父ちゃん魔王さま~!」
それは俺が五歳くらいのときのこと。通っていた幼稚園で俺は、そんなふうにいじめられていた。
そのいじめの主犯格は勇者の息子だった。
「みんな知ってるか? こいつの父ちゃん、俺の父ちゃんにボコボコにされたんだぜ~!」
「まじかよだっせー!」
「「だっせー!」」
そんな悪口に、俺は黙って唇を噛みしめることしかできなかった。
だって勇者の息子の言葉は、本当だったから。
***
そもそもなぜ勇者の息子なんかと同じ幼稚園に通わなくてはならないのか。
それも、父ちゃんが勇者にボコボコにされたのが原因であった。魔王が勇者に敗北すること。それすなわち、魔界の崩壊につながるのだ。
しかし、魔界の住人たちはどうなるのか? 魔界とともに消し炭になるのか?
答えは否である。
今、魔界の住人たちは、勇者やその仲間たちへの復讐の機会を窺いながら、人間界でひっそりと暮らしている。
魔界の住人と言えど、人間界憎しで過ごしていたわけではない。我々には我々の生活があり、その中で魔界の空気──人間界では瘴気と呼ばれるらしい──が境界線からすこ~し漏れ出してしまっていただけなのだ。確かに人間たちには毒となってしまう気体なのだが、こちらとしては普通に生活していただけなのだから仕方ないではないか。
それを、「魔王が人間界を乗っ取ろうとしている!」などとほざき、魔界に乗り込んできたのが勇者とその御一行様なのである。
魔界の住人の人権など知ったことではないとばかりに暴虐の限りを尽くした彼らは、やがて俺たちの住む魔王城までやってきて、俺の父ちゃんをボコボコにしやがったのだ。
かくして魔界は崩壊、人間界に瘴気が漏れ出ることもなくなり、勇者たちはご満悦で帰っていった。しかし残された我々はどうなる? このままでは我々の住むところがなくなるだけだ。
そこで我々魔界の住人は、勇者たちのあとを追う形で、崩れかかっていた人間界へとつながる門をどうにかくぐり、人間へと擬態して過ごし始め──今に至るのである。
***
「くやしい! 俺はくやしいよ、母ちゃん!」
家に帰ると俺は母ちゃんに泣きついた。みっともないことだと分かっていても、その時の俺には涙を止めることはできなかった。
「あらあら」
母ちゃんはそう言って頬に手を当てながら、もう片方の手で俺の頭をよしよしと撫でた。
人間に擬態していたはずなのになぜバレたのか。それはひとえに、あいつが勇者の息子だったからである。
勇者は魔王との戦いで死力を尽くし、その力を失った。しかしその血を継いだ息子には、魔王家の血筋が近くいると直感的に分かるのだという。そうして魔王の息子だとバレた俺は、冒頭のようなみみっちいいじめを受けていたのだ。
そんな俺をひとしきり甘やかし、宥めすかし、俺の涙がようやく止まったところで、母ちゃんはこう言った。
「──優しい魔王になりなさい?」
「……え?」
その日の母ちゃんの瞳の柔らかさを、俺はきっと忘れないだろう。
「あなたには魔王の血が流れているわ。その力を本気で使えば、勇者と互角にだって戦える。お父さんは負けてしまったけれど……それも、勇者のロケットに、彼の妻の写真が入ってるのを見てしまったから。彼の家族のことを想って、あの人は最後の一撃を放てなかったの」
「……」
「力に任せて何かを壊すのは簡単。けれど、お父さんはそうはしなかった。だからこそ魔界はあの日まで平和に続いていたし、今の私たちがあるのよ。その誇りを、どうか忘れないで?」
「……っ」
俺は再びにじみはじめた目元をぐしぐしとこする。母ちゃんが目元を細める。
「だからね。お父さんと同じ、優しい魔王になりなさい?」
俺はぶんぶんと首を縦に振った。母ちゃんが笑った。なんだなんだと、二階から父ちゃんが降りてくる。きっとこの様子だけを切り取れば、普通の人間の家族と何も変わらないのだろう。
──優しい魔王になりなさい
父ちゃんに抱きつきながら、母ちゃんの笑顔を見上げながら、俺はその言葉を頭の中で繰り返していた。
そう。
その言葉が、これから語るすべての始まりなのだ──
続きません。